せっかくなので、海にまつわるヘェ〜というはなしをちょっとだけ。
「やまのうえのはなし」で、地球上で最も標高が高いのがチョモランマの峰で8850mである。
それでは、最も深いところはどこかというと、日本からそれほど遠くないグァム島の沖にあるマリアナ海溝という海の裂け目みたいなところで、なんと10924mである。
地球の凹は凸に比べて、さらに2000mもの深さがあることになる。
また、地球上にある水分の97%は海水である。
陸にある、いわゆる真水に至っては、たったの3%しかないのだ。
わが故郷を流れる信濃川は、いつ見てもとうとうと豊かに流れているし、日本は豊かな水量を誇る河川が多い。
世界的に見れば、もっとすごい川がたくさんある。
アマゾン川の河口付近は対岸が水平線に隠れて見えないという。
その中州にはベレンという都市があるというから驚きだ。
それでも地球上の水の分布からすれば、陸にある水はたったの3%なのだ。
♪海は広いな大きいな〜、というのは紛れもない真実なのだ。
さて、水の物理的な性質として、空気に比べて温まりにくく冷めにくい、というのがある。
地表における温度差は、地域や季節によっても異なるが、大きなところで50℃にもなる。
特に湿度の低い、乾燥した内陸地域は、寒暖の差が著しい。
シルクロードの要衝、中国の新疆ウィグル自治区のカシュガルでは、ストーブにあたってスイカを食べる、という表現がされるほど一日の中の温度差が激しい。
実際私が訪れた時にも、日中は熱射病で倒れるかと思うほどの暑熱が街を包んだ。
あまりの暑さに、私は宿の近くの散髪屋に飛び込み、頭を丸坊主に刈ったくらいだ。
しかし夜の帳が下りて、道路傍に煌々と電灯を灯した夜市が開かれる頃になると、昼間の暑さはどこかへ吹っ飛び、代わって冷々えした冷気が街を包んだ。
私は街の人々がそうしているように、背中を丸めながら夜市の屋台で、激辛熱々の羊鍋を啜って暖をとった。
ところが海水の温度差は、ほぼ地球全域で5℃以内に治まっている。
これは陸上の50℃からの温度差と比べ、たいへん小さいと言える。
これは前述した、水の持つ温まりにくく冷めにくいという物理的特性による。
実はこのたいへん小さな温度差が海中の環境を穏やかなものとし、その結果として生物が海から誕生したのだ。
海から生まれた最初の生物は進化を繰り返し、やがては陸上にも進出した。
われわれ人類も永い目で見れば、海の中から生まれてきたと言える。
その証拠にわれわれ人類を含めた陸上の動物は体の内に海を持つ。
それは血液である。
海水と血液の塩分やミネラルの組成は非常に似通っている。
これこそが、陸上動物が原始の海洋から生まれてきた証と言える。
もうちょっと専門学的な話になるが、よろしいだろうか。
羊水の中に浮かぶ胎児は、さながら海洋に漂う生命に他ならない。
生物の比較発生学の定義に、「個体発生は系統発生を繰り返す」という銘文がある。
どういうことかというと、一匹の動物が受精卵から発生して成長していくそのプロセスは、その動物が進化してきた遥か過去のプロセスを順に繰り返していく、という意味である。
もっと解りやすくいうと、人間の胎児を受精卵からずっと観察していくと、ある時期のステージでは、
胎児の両横に鰓(エラ)が発生する。
これは引き続き経過観察していくと、やがては肺に変化していく。
興味深いのは、人間の胎児だからといって、いきなり肺が完成するのではなくて、進化のプロセスを忠実に実行して、まず魚類だった頃に保有していたエラを作って、そこから更に進化して、肺を発生させていくという事実だ。
われわれ人類を含めた陸上動物は、その生命の発生の時点から海との関わりを保ち続け、生き続けている。
その海の中を目指す旅は、人類が辿った生物としてのルーツを遡行する旅なのかも知れない。
[タイ@ピピ島 海は生命の源と実感できる魚影の濃さに圧倒される]